日記 2024/12/24

昨日の夜に思想の話をずっとしていたせいで12時に起きることになってしまった。

 

起き上がって冷凍のパスタを解凍して食べながら、久しぶりにCDプレイヤーでジョンコルトレーンのオラトゥンジ・コンサートを聴いた。悪い音質の中で荒れ狂うコルトレーンのサックスとラシード・アリのエネルギッシュなドラムは圧倒的なパワーを持って自分の耳に襲い掛かってきて、少し味の薄いカルボナーラを食べながら聴いているのが申し訳なくなった。

せっかくCDプレイヤーのためにコンセントの配線を組み替えたのだからなにか別のものも聴こうという気になったので、ハリー・スタイルズのHarry's Houseを流しながら少し勉強することにした。親しみやすさを前面に出しながらも所々面白いアプローチを見せてくれるこのアルバムは非常に作業にマッチしており、あっという間に塾の自習室に行く時間になってしまった。

 

少し速足で塾に向かいながら、裸のラリーズの夜、暗殺者の夜を聴いていたのだが、肌寒い空気と少しだけ暗くなってきた空の雰囲気が殺伐としてノイジーな曲に異常にマッチしていて途中から怖くなって聴くのをやめてしまった。

 

塾についた後も音楽を聴きたい衝動が収まらず、ノイズキャンセリング機能で集中するためという建前でイヤホンをつけてマイルス・デイヴィスのDark Magusを聴いた。英文法の問題集は退屈だったが、マイルス・デイヴィスは凄まじかった。すごく濃密で激しいのにダークな演奏はすごく刺激的で、間違いなく自分のマイルスに対する考え方は変わったと思う。

 

マイルスが終わった後に近くでほかの生徒を教え終わった顔見知りの先生に対して英語はヘンな言語だと思う。と愚痴を言ったら『日本語の方があまりにもヘンだ。』と返されて頻繁に起こる主語の省略や3つも文字がある点、ひとつの漢字の読み方など複数の例を示されてしまい、納得せざるを得なくなってしまったのでその先生との会話が終わった後に逃げようにして家に帰った。

 

帰る途中にふとbetcover!!が聴きたくなって馬を再生したのだが、冬の寒さとbetcover!!の音の緊迫感がうまく組み合わさってとても魅力的に聴こえ、移動中にしては珍しくアルバムを丸ごと聴き切った。井上陽水も『僕のテレビは寒さで画期的な色になり とても醜いあの娘をグッと魅力的な娘にしてすぐ消えた』と言っているように寒さには人の感受性に訴えかける何かがあるのかもしれない。

 

家に帰った後に自分が参加しているDiscordのサーバーで通話が行われていることに気付いたので参加し、年間ベストアルバムについてなどの話をした。

メモ:Against All Logicの2012 - 2017を聴く

 

親が自分を呼んでいたので泣く泣く通話を抜けるといつもより豪華な晩御飯が自分を待っていた。料理は文句なしにおいしかったので特にいうことは無いのだが、デザートに自分が以前から食べたいとたびたび口にしていたブッシュドノエルが出てきたのが嬉しかった。

 

食事会を終えて部屋に戻った後にFFのスペースに参加して音楽についての会話を数時間した後、そこの話題として登場したレッド・ツェッペリンを聴いた。

今まで聴いたことのなかった聖なる館(かなり好きな邦題)を聴いたのだが、No Quarterという曲がすごく印象に残った。自分が聴いたどのツェッペリンの曲とも異なるムードがあり、すごくサイケデリックで自分好みだった。

 

明日もまたいい日になりますように。

日記 2024/12/23

今日はもともと軽音部の練習の予定だったが、ほかのメンバーの都合で練習が無しになって午前中はずっと家で過ごした。

 

昼御飯を食べた後、午後6時30分からのピアノのレッスンに備えて練習を始めた。ピアノ一台と向き合って指を動かすことで出てくる音は普段自分がイヤホン越しに聴く音に比べてずっと生き生きしたエネルギーが入っているように感じる。もちろん演奏のテクニックなんてものはあまり褒められたものではないし、プロに比べれば鼻クソみたいなものだが、実物のピアノの音色の持つパワーはやはり格別で、上手くいっている時限定ではあるが自分の弾いている物がどの音楽よりも楽しく、素晴らしいように感じる。

 

自分はいつもピアノを弾くときは自分の目指す演奏を決め、その演奏を参考に自らの解釈を生み出そうとする方式をとっているのだが、今年の課題曲は最初から目標を設定するのをやめて自分と先生で楽譜を基に解釈を練り上げてから理想的なものをじっくり探そうとしたのだが、変に細かい部分まで形作られてしまったイメージに合致する演奏が見つからずに困っている。来年は絶対に今まで通りにしようと心に決めた。

 

ピアノのレッスンの後は前々から気になっていたクシシュトフ・ペンデレツキのバックグラウンドについて調べ、いくつかの作品を聴きなおした。以前は彼の作品の生々しさにただ感服するだけだったのだが、その生々しさを出す要因として現代的な不協和音の使い方があるのではないか、と思うなどした。

 

一通りペンデレツキの作品群を聴き終わった後、あまりにも汚い自分の部屋の掃除に本気で取り掛かった。思えば自分が今いる部屋を使い始めて以来の大掃除かもしれない。部屋に積み重なった4年分のプリントを整理しながら時々内容を見てみると思いがけず取った高得点やノリが合わずに辞めてしまった前の塾の教材、試そうとしたプリント整理法の形跡など様々な自分の人生の断片が見え、自分の失敗への多さに対する少しの苛立ちと懐かしさが入り混じったヘンな気持ちになった。

ともかく、部屋は綺麗になった。明日はきっといい一日になるはずだ。